日大アメフト部の視聴率が高い理由

 

ある政治家が「日本はもっと大きな問題を抱えているのに、連日日大アメフト部のことばかり報道して日本人の意識は大丈夫か?」

と、心配しているそうです

 

視聴率が高いゆえ報道時間が長いわけですが。

 

今回のことで、多くの人が延々に関心を持ち続けるのは、「野次馬根性」でも「意識の低さ」でもないように思います。

 

確かに国民が深く関心を向けなくてはいけない社会問題は山積しています。そこに目を向けなくていけないことも良くわかります。

 

しかし、テレビはプライベート空間で直感的にチャンネルを選びます。

テレビを見ている私達が過去の体験を想起し、身近な問題と感じる。

その私たちの正直な気持ちが視聴率にあらわれるのですね。

 

「パワハラ」

 

という言葉を知らなった時代、権威的ふるまいや支配的なタイプが頼りになるリーダーだとし、

一定の評価をされてきました。

 

そういうタイプに「なんかやってくれそう」と、期待し選挙で選んでしまったり。

 

周囲の声を押さえつける力があるので、物事を推進する力はあるのですが。

 

残念ながらそのタイプは同時に、いざという時に逃げてしまう。

周りの人たちのせいにしてしまう。という一面も。

 

私達が生きてきた中でも、

「なんか自分のせいにされてる。理不尽な気もするけど、私がおかしいのか?」

と混乱し、モヤモヤ抱えることは多々あったはず。

 

「パワハラ」の定義が明確になり、

 

「今までのあれこれはまさにこのこと!」と、点と点がつながり、

多くの人たちのやるせない思いが一気に爆発したのではないでしょうか。

 

   *   *   *

 

こんなことを言っては不謹慎なのですが、今回のことでは、関係する人たちが

まるで、大きな役割を与えられているかのようにも見えます。

 

誠実な性格の加害者。

知恵のあるご両親。

 

心ある被害者とご両親。

特に父親が政治家で、問題が起こった時の正しい対処や発信の方法を知っていたこと。

 

証言する人々。

 

パワハラ監督、逆らえないコーチ。

 

旧態依然とした体質の日大。

 

 

現実的には、なんとお声をかけたら良いのかわからないほど、

つらい出来事だったとしか言いようがないのですが。

 

一方、つらい出来事の中に、肯定的な意味合いを見つけだすとしたら、

見方によっては、私達が今後、パワハラに対してどうしていったらよいのか深く考える

機会をあたえられているようにも見えます。

 

この問題は、すみずみまで納得いく形に収まるかどうかはわかりませんが、

社会全体に多くの教訓を示すことになりそうです。

 

視聴率の高さは「野次馬根性」でも「意識の低さ」でもありません。

 

このことを通して社会全体が学び、コミュニケーションについての意識が向上していく

過程なのではないかと私は感じています。